こんにちは。あーちゃんです(^ ^)/
終戦を知らずに、アナタハン島に残った32人の男達と1人の女性の5年間にも及ぶ過酷な共同生活(実話)が、「ワールド極限ミステリー」でドラマ化されました。
一般に「アナタハン島事件」と呼ばれている歴史上の出来事です。
アナタハン島とは、フィリピンのマリアナ諸島にある島です。
想像を絶する過酷な体験を余儀なくされた比嘉(ひが)和子さんは、その後どんな人生を歩まれたのでしょうか?
日本に帰った後、アナタハン事件の比嘉和子(夏子)さんは、現在結婚して子供もいるのでしょうか?
家庭を持たれて穏やかな人生を歩んだのでしょうか?
日本に帰国されてからの生涯が気になりますので、いろいろ調べてみました。
最後までご覧いただけると嬉しいです(^ ^)/
アナタハン島事件の比嘉和子(夏子なっちゃん)は現在結婚して子供もいるの?
アナタハン島事件とは
大西洋の西部、マリアナ諸島にアナタハン島はあります。
その無人島に、敗戦したことを知らない32人の男と1人の女性が残され、壮絶な共同生活が5年間も続いたのでした。
その1人の女性というのが、比嘉和子(なっちゃん仮名)さんです。
まるで「原始生活」だった。女も木の葉で腰ミノだけ。
その時に結婚していた夫は和子(なっちゃん仮名)さんと離れた島におり、結果女性1人取り残されることになってしまったのです。
32人の男性にとって和子(なっちゃん仮名)さんは性の対象となり、奪い合いが始まりました。
そこで、一緒に取り残された同じ会社の上司と結婚をし夫婦となります。
相手の男性も妻子ある身、一方、和子(なっちゃん仮名)は夫が生存不明の状態でした。
やがて和子(なっちゃん仮名)さんは妊娠しますが、流産してしまいます。
取り敢えず夫婦の形を偽装し、自分の身を守る策を取ったのですが、それも功を奏さず遂には男性の間で殺人事件まで起きてしまいます。
何と怪死も含めて13人もの男性が死亡しました。
しまいには、争いの原因となる比嘉和子(なっちゃん仮名)さんを抹殺すれば争いがなくなると、和子さん殺人計画が企てられたのです。
自分の殺人計画を知り、和子(なっちゃん仮名)さんは逃げ出します。
途中でアメリカ船に助けられ、1950年にやっと帰国の途につくことになりました。
翌年、残留していた日本人男性は全員投降したそうです。
比嘉和子(なっちゃん仮名)さんは、現在結婚して子供もいるの?
- 生年月日:1924年8月5日生まれ
- 出身地:沖縄県
- アナタハン島:1945年20歳の時に、32人との男性との5年間に及ぶ過酷な共同生活が始まる
- 日本に帰還:1950年5月
- 没年月日:1974年3月脳腫瘍により死亡(享年49歳)
やっとの思いで日本に帰還した比嘉和子(夏子なっちゃん)さんは、地元の沖縄に戻りカフェを営むのですが、マスコミに追いかけられ好奇の目に晒され続けてしまいました。
日本では比嘉和子さんのことを、マスコミが「アナタハンの女王」「男を惑わす悪女」「アナタハンの女王蜂」などと囃し立て、当時流行語になりました。
また、旨い口車に乗って騙されてしまい、浅草でストリップ劇場の舞台に立ったこともあります。
また、映画「アナタハン島の眞相はこれだ!!」が公開され、比嘉和子さん本人が主演しています。
しかし、映画の作品としての評価は低いものでした。
その後再び沖縄に戻った和子さんは、2人の連れ子がいる男性と結婚して、たこ焼き屋や、夏場はかき氷屋をやりながら、余生を静かに暮らしたそうです。
残念ながら、2人の間に子供は恵まれなかったようです。
沖縄で穏やかな人生を取り戻した和子(なっちゃん仮名)さんですが、脳腫瘍の病に倒れ、1974年3月に49歳の若さで亡くなりました。
それでも、最期に地元の沖縄に安住の地を見出し、再婚して共に人生を歩む伴侶に出会えたことは、小さな幸せでも納得の行く人生だったのだと思います。
アナタハン比嘉和子(なっちゃん)は現在結婚して子供もいるの?「ワールド極限ミステリー」のまとめ
戦後の混乱期を、運命に翻弄されながら生き抜いた比嘉和子さん。
無人島であるアナタハン島に取り残され、敗戦を信じない32人の男とゆういつの女性、比嘉和子(なっちゃん仮名)さんは過酷な共同生活を強いられました。
和子さんの奪い合いから始まった次々起こる男性間の殺人事件。
自分の身にも危険が迫ったことを知った和子(なっちゃん仮名)さんは逃げ出し、アメリカの船に助けられ日本に帰還することができたのです。
アナタハン島事件の比嘉和子(なっちゃん仮名)さんは現在結婚して子供もいるの?「ワールド極限ミステリー」のまとめは
帰還後も好奇の目に晒されながらも、地元沖縄で子連れの伴侶と出会い結婚し、静かに晩年を過ごしました。
残念ながら子宝には恵まれず、2人の間に子供はいません。
穏やかに過ごしていたのですが、運命というのは時に残酷で、若干49歳の若さで脳腫瘍に冒されこの世を旅立ったのです。
でも、波乱に満ちた人生を歩くことを余儀なくされた和子さんが、最後に安住の地、沖縄で穏やかに暮らしていたことにホッと胸を撫で下ろします。
その何にも屈しない精神力と生命力に圧倒されます。
帰還後の晩年が、和子(なっちゃん仮名)さんにとって幸せな時間であったと信じたい思いでいっぱいです。