こんにちは。あーちゃんです(^ ^)/
1985年6月に起きた200億円という戦後最大の詐欺事件の中心となった、豊田商事会長の永野一男の壮絶な最期を覚えていらっしゃる方は多いのではないでしょうか?
豊田商事会長だった永野一男の経歴と家族!のことを詳しく知りたいと思い、調べ上げましたので、共有させていただきます。
また、殺害犯人は現在、どうしているのでしょうか?ついても、この記事の中で書いていこうと思います。
最後までお読みいただけると嬉しいです(^ ^)/
豊田商事会長だった永野一男の経歴と家族!
豊田商事会長だった永野一男の経歴!
1985年に起きた、2000億円にも及ぶ戦後最大の詐欺事件の首謀者、豊田商事の会長だった永野一男はどんな経歴の持ち主か?お話ししますね。
- 生年月日
1952年8月1日 - 出生地
岐阜県恵那市 - 父親が病弱で障害を持っていたので働くことが難しく、農業を営む父方の祖父が家計を助けていました。
- 祖父が亡くなり、両親は離婚し、母親の実家がある島根県に移住します。
- 15歳
母親が失踪し、その後は島根県浜田市国分町の叔父宅に預けられました。 - 中学卒業後
定時制高校に通いながら、集団就職で日本電装(現デンソー)に入社しましたが、2年で退職し高校も辞め、その後職を転々としました。 - 1981年
大阪豊田商事(後の豊田商事)を設立し、高齢者などからペーパー商法で金をだまし取り、戦後最大の詐欺事件の中心人物となり、高級外車を所有するなど派手な生活をしていました。 - 没年月日
1985年6月18日(享年32歳)、右翼を名乗る2人の犯人(男性)に刺殺されました。
今日逮捕の情報が出て、報道陣が自宅マンション前に集まった目の前で、右翼を名乗る2人組に銃剣で刺殺されたのです。
窓の格子を無理やり壊し、窓ガラスを叩き割りマンションの室内に突撃した犯人2人は、永野一夫のその自宅内で刺殺したのでした。
当時、その様子はテレビで生中継され衝撃的な映像が波紋を呼びました。
※この事件の実際のなま放送された映像、画像がネット上に残っていますが、あまりにショッキングなものですので、当サイトでは掲載を控えております。
その後、豊田商事のグループ会社は相次いで破産申告をし、一応の解決となってしまいました。
この豊田商事グループは、一番上に統括会社があり、そ配下にある殆どのグループ会社が詐欺商法に関わっていました。
豊田商事会長だった永野一男の家族!
父親は病弱で働くことが難しかったようで、家計は苦しく、農業をしていた祖父が家計を支えていたようです。
その祖父が亡くなってからは、一家の状況はかなり厳しかったようです。
両親が離婚した後は、母親の実家がある島根県に移り住みましたが、永野が15歳の時に母親は家を出てしまいます。
そこで、島根県浜田市国分町の叔父宅に引き取られる事になりました。
地元で中学を卒業し、集団就職で島根を離れたようです。
兄弟姉妹に関しては、情報が流出していませんし、また結婚はせず独身を通していました。
豊田商事会長の永野一男を殺害した犯人の現在は?
永野一男を惨殺した犯人は2人とも実刑の有罪判決を受けました。
主犯格の飯田篤郎さんは懲役10年の判決を受け、刑期を終えて出所しております。
出所後は、結婚もして、近畿地方で一般人として家賃7万円の3DKのアパートで暮らしているようで、存命であれば91歳になります。
共犯の矢野正計さんは、出所後しばらく大阪で暮らしていたようで、雀荘も経営していたようです。
2010年頃に大阪から広島に移り、結婚もして子供も5人います。
存命であれば、65歳になられます。
豊田商事会長(永野一男)の経歴と家族!と殺害犯人の現在は?仰天ニュースのまとめ
豊田商事会長(永野一男)の経歴は、中学卒業後に集団就職でデンソーに入社したが2年で退職し、その後職を転々とし、2000億を騙し取った豊田商事を設立しました。
豊田商事会長(永野一男)の家族!は、障害を持って働くことが難しい父と母。その家計を農業で支えた祖父。
祖父が亡くなった後は、母も家を出てしまい、叔父宅に預けられました。
また、殺害犯人の現在は、2人とも刑期を終え、一般として生活されています。
最後までお読みいただきありがとうございました(^ ^)/